真紀が、メイリンとのリベンジマッチの条件として千夏と試合をする夜、プライムローズには、真紀とメイリンの試合が行われた夜と同じように、いかにもお金持ちといった風情のお客さんがたくさん集まっていました。そして、この夜のオープニングマッチに出場するファイターとして、花恋と晴子は、しっかりと張られた三本のロープをくぐり、プライムローズのリングの上に立ちました。
二人がそれぞれリングコールを受けると、レフェリー役の、背の高い金髪女性が、リングの中央に歩み出てきました。彼女が笑顔を向けながら手招きをする仕草をしたので、晴子は、それに従って、赤コーナーを離れました。そして、黒コーナーからも、その夜の晴子の相手である花恋が、晴子と同じぐらい大きな乳房をわずかに揺らしながら、晴子の方に向かって歩いてきました。
レフェリーが試合前の注意を二人に伝えている間、花恋は、大きな乳房を湛えた胸を張り、両腕を肩からだらりと垂らして、晴子の顔を見据えていました。晴子は、初めのうちは、レフェリーの顔をちらちらと眺めながら彼女の話を聞いていましたが、花恋の冷たい視線が、すっと自分の顔に向けられていることに気づくと、それを迎え撃つように、少し表情を強張らせて、花恋の顔を見つめ返しました。
やがて試合開始のゴングが鳴らされ、二人はそれぞれ、背にしていたコーナーを離れました。初めて経験する、「試合」
というものに対する緊張感からか、晴子の動きには、わずかにぎこちなさのようなものが感じられました。リングデビュー戦という意味では晴子と同じではあるものの、花恋は、晴子とは対照的に、ごく自然なステップで、晴子との距離を、少しずつ詰めていきました。
私の方が身長もあるし、手も長い。それを生かせば、勝てるチャンスは充分ある。……
そう考えて試合に臨んだ晴子でしたが、実際に相手を目の前にしてしまうと、どうしても殴られることに対する恐怖感が先に立ち、なかなか前を向いて正確なパンチを打つことが出来ませんでした。それに対して、花恋は、殴られることを怖がる素振りさえ見せず、相手を手の届く範囲に捉えたと感じると、躊躇せずに大きなパンチを繰り出してきました。そして、積極的に自分から前に出て、どんどん攻撃を仕掛けてくる花恋のペースに、晴子はあっさりと飲み込まれていってしまいました。
試合が始まって二分が経過した頃には、嵩にかかって攻めてくる花恋の勢いに圧倒され、晴子はすでに防戦一方になっていました。そして第一ラウンドの残り三十秒ほどになったとき、晴子はニュートラルコーナーを背にして、身体を丸め、グローブで顔を覆うだけになってしまいました。
晴子から完全に反撃の気配が消えると、花恋は、晴子のわき腹を目掛けて、力任せにパンチを振るいました。四発、五発と、花恋のボディブローを立て続けに食らった晴子は、頭をグローブで覆ったまま、潰れるように、キャンバスに横倒しになりました。
「…… ファイブ、…… シックス、…… セブン、……」
ゆっくりと立ち上がった晴子は、胸の前にグローブを構えて、自分に対して進められていくダウンカウントを聞いていました。花恋は、ニュートラルコーナーの上段ロープに腕を伸ばし、そんな晴子の姿に、見下したような視線を落としていました。
試合が再開されたものの、晴子はすぐに、コーナーに追い込まれてしまいました。そして、再びグローブで顔を覆って身体を丸め、花恋の連打を浴びるだけになってしまった晴子の腰が落ちかけたところで、第一ラウンド終了のゴングが鳴りました。蔑むような笑いを残してから黒コーナーに戻っていく花恋の背中を、晴子は恨めしそうに見つめていました。
それぞれのコーナーでストゥールに腰を下ろし、インタバルの一分間を過ごす二人の姿はまったく対照的でした。しっかりと相手の晴子を見据えて、ロープに腕を伸ばし、大きく深呼吸を繰り返す花恋に対し、上目遣いに花恋を見つめている晴子の背中は丸まり、呼吸も速く、弱々しいものになっていました。
このままだと、何もできないうちにやられてしまう。何とか反撃しないと。……
そう自分を奮い立たせて、第二ラウンド開始のゴングと同時に赤コーナーを後にした晴子でしたが、満面に自信を漲らせて襲い掛かってくる花恋を前にすると、晴子の勇気も、すぐにしぼんでしまいました。
簡単にロープ際に追い込まれ、花恋の連打を浴びた晴子は、第二ラウンドが始まってから三十秒と経たないうちに、両拳のグローブをべったりとキャンバスにつき、この夜二度目となるダウンカウントを聞いていました。晴子には、ニュートラルコーナーの近くで、軽く腰を振りながら自分を見下ろしている花恋の姿を羨む余裕も、すでに残っていませんでした。
何とか立ち上がったものの、自分から一度もパンチを出せないうちに、晴子はまた、ロープ際に追い詰められ、花恋の連打を浴びました。
「もうダメだ。……」
肉体的にも精神的にも限界に達した晴子が、花恋に背を向けて、両膝を折りかけるのと同時に、花恋はぐっと重心を落とし、鉤形に曲げた右腕を、力一杯振り抜きました。そして、花恋の右拳を覆っている赤いグローブが、勝負を諦め、一切の防御体勢を解いていた晴子のお腹に、深くめり込みました。
「ぐぅえぇっ!」
小さな呻き声を洩らした晴子は、マウスピースを吐き出し、キャンバスに転がりました。レフェリーがダウンカウントを進めても、晴子は、顔一杯に苦悶の表情を浮かべ、両手でお腹を押さえてキャンバスをのたうち回るだけでした。
「…… セブン、…… エイト、…… ナイン、…… テン! ノックアウト!!」
レフェリーが両腕を交差させ、試合終了を告げるゴングが打ち鳴らされました。
しばらくすると、ようやく呼吸の落ち着いた晴子のそばに、レフェリーから渡された晴子のトランクスを手にした花恋がやってきました。花恋は、手にしたトランクスを見せびらかすように、晴子の顔の前でヒラヒラと軽く振ったあと、晴子の白いパンティに一瞥をくれ、嘲笑交じりに言い放ちました。
「ダメよぉ、そんな味も素っ気もないパンティ履いてちゃぁ。いまどきの中学生だって、もっとおしゃれしてるわよぉ。」
晴子は何も言い返せず、悔しそうに花恋を見上げることしかできませんでした。
晴子は、リングを降りるために、四つん這いになってわずかの距離をのろのろと這いずったあと、ようやく下段ロープにグローブをかけました。その傍らでは、レフェリーに右手を掲げられた晴子が、晴子から奪い取ったトランクスを誇示するようにして勝者のポーズを取り、リングを取り巻く観客たちに、満面の笑みを振りまいていました。
× 晴子 KO 2R 1分14秒 花恋 ○