「…… ファイブ! …… シックス! ……」

 ニュートラルコーナー近くで、キャンバスにへたりこんでいる若いグラビア系女性タレントは、相変わらず、両拳を覆っている大きな青いボクシンググローブをべったりとキャンバスにつき、白いマウスピースを覗かせた口を大きく開いて、はあはあと苦しそうに呼吸を繰り返していた。

 リングの上にはもう一人、赤いヘッドギア、赤いボクシンググローブ、そして、赤を基調としたコスチュームを纏っているグラビア系アイドルがいた。彼女は、レフェリーにダウンカウントを向けられている青コスチュームの娘の方をちらちらと眺めながら、彼女が座り込んでいるのとは反対側のニュートラルコーナー近くを、うろうろと歩き回っていた。

「…… セブン! …… エイト! ……」

 レフェリーは、ぐっと腰をかがめて、目の前でへたりこんでいる娘の顔を覗き込むようにして、ダウンカウントを進めた。それに気づいたのか、彼女は、俯いていた顔を上げ、レフェリーと視線を合わせたが、力なく首を左右に振ると、すぐにまた俯いてしまった。

「…… ナイン! …… テン!!  ノックアウト!!」

 ゴングが連打される音がスタジオ内に鳴り響くのと同時に、撮影に立ち会っていた医師がリングに上がった。その医師は、青コスチュームの娘の口からマウスピースを抜き取り、彼女の顔や身体の動きを確認すると、その傍らで、片ヒザをついて彼女を見守っていたレフェリーに、「心配ない」という合図をした。

 レフェリーは、その合図を受け取ると、すっと立ち上がり、赤コスチュームの娘の方に歩み寄って、彼女の右手首のあたりを掴み、高く掲げた。

「勝者、星野真紀!!」

 勝者のコールを受けた赤コスチュームの娘は、彼女のバストショットに構図を合わせているカメラに向かって大きく吼え、空いている左腕で力こぶを作るポーズを取った。

 大きなヘッドギアに隠れた彼女の頬は、今までに一度も経験したことがないほどの興奮に、紅く染まっていた。

 もう一度、…… いや、何度でも、この興奮を、…… この快感を味わいたい、と、彼女は思った。


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 全国ネットのキー局であるTテレビは、若手の人気お笑いタレントや国内外のトップアスリートを起用しているにも拘らず、今一つ視聴率が伸びていない大型スポーツバラエティ番組のテコ入れとして、新しい企画の立案に追われていた。その企画案の中に、女性タレント同士、できればグラビア系のアイドル同士を闘わせる、というものがあった。

 競技種目の第一候補として、プロスタイルのレスリング、所謂プロレスが上がった。しかし、企画会議の席上で、「グラビアアイドル同士のプロレスだと、安全面を考慮した上で細部を詰めていくと、どうしてもバラエティ色が濃くなる。それでは、他局の二番煎じではないか。」 との意見が出された。企画の変更を余儀なくされた企画チームは、もう一度さまざまなファイトスタイルを模索し、確認作業を行った上で、種目をボクシングに変更して、企画案を再提出することにした。

 出場者となるグラビアアイドルや女性タレントに、16オンスのボクシンググローブ、特製のヘッドギア、胸と下腹部用の特注防具をつけさせ、しっかりロープを張った本格的なリングの上で、三ラウンド制、ラウンド二分、インターバル一分の、完全な真剣勝負。…… 『殴る』という言葉のインパクトが効いたのか、この企画案は会議の席上で好評を博し、採用されることになった。『アイドル・ボクシング・スタジアム』 というタイトルも決まり、企画チームは、さっそく出演者の交渉に入った。

 企画チームは、第一回目の放映には、できるだけ顔の売れたアイドルを起用したいと考えていたが、完全防備に近いとは言え、殴り合いには変わりがないということで、芸能プロダクションサイドのガードは硬く、出演交渉はなかなかはかどらなかった。そんな中、この仕事を請け、第一回収録のリングに上がった二人のうちの一人が、過去に深夜番組で真剣ファイトの経験があり、また、キュートな容貌とは不釣合いな過激な発言がウケて、ここ一年ほどで完全に人気タレントの仲間入りを果たしていた星野真紀だった。

 実のところ、真紀は、最初にこの話を聞いたとき、あまり乗り気ではなかった。事務所の社長に説得され、言い方を替えると、「うまく言いくるめられ」て、真紀は、最終的に、この企画への出演を受けることになった。

 どんな経緯であれ、一旦仕事を請けてしまった以上は、積極的に、喜んで仕事をこなす、という主義の真紀は、どうせなら、ということで、一回目の収録までの一ヶ月間だけ、ボクシングジムに通い、本格的に練習をしようと考えた。

 ジム通いを始めると、真紀はすぐに、ボクシングの魅力に取りつかれた。仕事や私生活の上で、何か嫌なことがあっても、サンドバッグを思い切り叩き、全身汗まみれになるまで身体を動かすことで、ストレスを発散することができる。…… 真紀は、ジムに通うのが楽しみになり、また、始めは嫌だった、『アイドル・ボクシング・スタジアム』 の収録を、待ち遠しく思うようにもなった。


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 『アイドル・ボクシング・スタジアム』 第一回収録の日、Tテレビスタジオ内の特設リングに上がった真紀は、ジム通いの効果が現れたのか、番組関係者の劣勢予想を覆し、互角以上のファイトを演じた。

 予定の三ラウンドを消化したあと、真紀は赤コーナーに戻り、ジャッジ役を務める三人の若手お笑い芸人の判定を待った。そして、その三人が真紀の勝ちを意味する赤いパネルを示すと、真紀は一気に喜びを爆発させた。レフェリー役の元格闘家に促されてリングの中央に進み出て、彼に右腕を高く掲げられた真紀は、演技ではない、本心から湧き上ってくるガッツポーズをカメラの前で披露した。

 収録を終えた真紀には、この日の試合に勝利を収めたことで、『アイドル・ボクシング・スタジアム』 の仕事が、また自分に回ってくるような気がした。それなら、ここでジム通いを止めてしまうのはもったいない、とも真紀は思った。結局、真紀は、ボクシングジムに通うのは、収録前のひと月だけ、という予定を取りやめ、その後もジム通いを続けることにした。


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 真紀の予想通り、最初の収録から二週間ほどが過ぎたとき、真紀の所属する事務所に、『アイドル・ボクシング・スタジアム』 から、二度目の出演以来が舞い込んだ。

 それから一と月と少しの後、真紀は、赤いヘッドギアとボクシンググローブ、赤ベースのコスチュームを身につけ、再びTテレビのスタジオ内に設置された特設リングのロープをくぐった。『アイドル・ボクシング・スタジアム』 第三回放映分となるその日の収録、真紀の相手は、愛くるしい笑顔と巨乳がウリのアイドル、磯部さやかだった。

 青ベースのコスチュームを身に纏ったさやかは、身長で真紀よりも10センチ近く劣るというハンディを背負いながらも、持ち前の根性を発揮し、積極的に前に出て打ち合いに持ち込み、内心、前回よりも楽に勝てると考えていた真紀を、かなり手こずらせていた。しかし、最終ラウンドとなる、第三ラウンドの残りが三十秒ほどになった頃には、試合中、ずっと腕を振り回し続けていたさやかの疲労はピークに達し、試合開始当初は溌剌としていた動きも、かなり鈍くなってしまっていた。

 真紀は、極度に手数の落ちたさやかに近づき、さやかのボディを狙って、左フックを放った。真紀の左フックが的確にターゲットを射抜くと、さやかは短い呻き声を洩らし、身体を丸めて、一歩、二歩と、後ろに下がりだした。そして、さやかのお尻がニュートラルコーナーのコーナーマットに当たると、さやかはそれ以上後ろに下がれなくなった。

 コーナーに詰まり、やや身体を丸めたさやかは、両手のグローブで顔を覆っていたが、両肘の間が開いてしまっており、真紀には、勝負を決定付けるような強烈な一撃を叩き込めるターゲットが、そこにポッカリと口を開けているように思えた。真紀は大きく踏み込んで左腕を鉤型に曲げ、さやかの前腕の間から、さやかのアゴを目がけて、思い切り左腕をかち上げた。

 さやかの顔が一瞬真上に跳ね上がり、そのパンチの衝撃で、さやかのガードは完全に乱れてしまった。真紀がそのまま上体を素早く捻り、ヘッドギア越しではあるものの、がら空きになってしまったさやかの顔面に、渾身の力を込めて右フックを打ち込むと、さやかの顔が再び大きく捻じ曲がった。そして、一瞬の間を置いて、さやかの両膝が折れ、さやかは、両拳を覆っている青いグローブをキャンバスについた。

「ダウン!!」

 三度目の収録で初めて訪れたダウンシーンに、スタジオ内に大きなどよめきが湧き上がった。

 レフェリー役の元格闘家は、この十秒ほど前から、かなり劣勢になってきたさやかの安全を図るため、試合のストップをかなり意識して、レフェリングを進めていた。

 彼は、さやかがダウンしたことで、このタイミングを利用して試合を止めようかと一瞬考えたが、さやかの様子がそれほど深刻な事態を示していないこと、ダウンしたことによって、真紀の攻撃からさやかが一時的に隔離されていること、そして何より、絵的に強烈なインパクトのある状況が出来上がっていることを考慮し、彼は、「もしこの娘が立ち上がっても、そこで試合を止める。それなら問題ないだろう。」 と判断し、真紀に反対側のニュートラルコーナーで控えるよう指示し、さやかに向かって、ダウンカウントをスタートさせた。

「…… ワン、…… トゥー、…… スリー、…… フォー、……」

 さやかは、カウントファイブのあたりで一旦腰を上げかけたが、すぐに、もう一度、キャンバスに腰を落とした。そして、レフェリーがカウントを進めながらさやかの顔を覗きこむと、さやかは、「もうダメです」と言わんばかりに、首を小さく横に振ったあと、俯いたまま動かなくなってしまった。

 さやかは、立ち上がって試合を続けるだけの体力が、もうまったく残っていない、というわけではなかったが、真紀の放ったラスト二発のパンチは、ヘッドギア越しではあるものの、顔を思い切り殴られることの恐怖を、さやかの心に強烈に植え付け、さやかの戦意を、根こそぎ奪い取ってしまっていた。

「…… ナイン、…… テン! ノックアウト!!」

 試合終了を告げるゴングの余韻が残る中、勝者のコールを受け、レフェリーに右腕を高く掲げられた真紀は、血気ばんだ顔をカメラに向け、勝者のポーズを取った。

 会心のコンビネーションブロー、相手がキャンバスに崩れ落ちていく光景、そして、KO劇の勝者として聞く試合終了のゴング、…… そのすべてに、真紀は興奮した。

「ボクシングの試合で、KO勝ちを収めるということは、…… 文字通り、相手を倒すということは、こんなにも気持ち良く、快感に満ちたものなのか。……」

 真紀の両拳には、さやかをキャンバスに沈めたパンチの手応えが、まだ残っていた。


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 初めてKO勝利の味を知ったことで、真紀のボクシング熱は、ヒートアップの一途を辿っていった。

 もちろんジムに通ってサンドバッグを思い切り叩くだけでも充分楽しいのだが、真紀は完全に、『生身の人間を殴る』 ということの虜になっていた。そして、公然とその欲求を満たすことのできる、『アイドル・ボクシング・スタジアム』 への出演依頼を、真紀は心待ちにするようになっていた。

 一方、『アイドル・ボクシング・スタジアム』 は、放送開始以来、番組内のコーナー別視聴率で最高の数字を叩き出し、また、低迷していた番組全体の視聴率も、はっきりと上昇の兆しを見せてきていた。これに気を良くしたTテレビは、『アイドル・ボクシング・スタジアム』 を、それまでの月一ペースの放映から、隔週放映へ切り替えることにした。

 準レギュラーコーナーを獲得した企画チームは、その記念に、『アイドル・ボクシング・スタジアム』 に、チャンピオンを作ろうという企画を作り上げ、それは実行に移された。そして、さやかをKOに下したあと、さらに一試合に勝利し、三戦三勝の成績を残している真紀は、当然のように、その、『王者決定戦』 の出場者の一人にピックアップされた。

 『王者決定戦』 の収録日、新装されて一段豪華になったセットが配された、Tテレビスタジオ内の特設リングに上がった真紀は、自分よりも一回り身体の大きい相手に回しながらも、体重やリーチの差をまったく感じさせることなく、最終ラウンドにスタンディングダウンを奪うほどまでに相手を圧倒し、文句なしの判定勝ちを収めた。そして、真紀の、『ボクシングの楽しみリスト』の中に、『チャンピオンベルトを腰に巻くことの喜び』 という項目が、新たに加わった。


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 隔週放映になって以降も、『アイドル・ボクシング・スタジアム』 は、相変わらず好評で、高いコーナー別視聴率をキープし続けていた。また、芸能プロダクション側からも、「うちの娘を使ってみないか」 とのオファーが、ちらほらと舞い込むようになり、それまでは難航していた出演者選びにも、それほど苦労がいらなくなってきていた。企画チームは、出演者選びに傾けていたエネルギーを、出演者の魅力を引き出すための、コスチュームのデザイン変更や、防具の改良に注ぐなどして、さらに企画のブラッシュアップに奔走していた。

 真紀の元にも、『アイドル・ボクシング・スタジアム』 から、ふた月に一度ぐらいのペースで出演依頼が届き、真紀はそのたびにリングに上がった。

 企画チームは、チャンピオンとして、『タイトルマッチ』 に臨む真紀に、少しずつ強い相手を選んだ。しかし、相手が強くなっていく分、なかなかKOというわけにはいかないものの、毎回、紅色ベースに金色のトリムという、他の出演者よりも少し派手なチャンピオンコスチュームを身に纏った真紀は、『最強の挑戦者』 として向かってくる相手を退けて、チャンピオンの座を保ち続けた。


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 真紀が二度のタイトル防衛戦に勝利し、『アイドル・ボクシング・スタジアム』のチャンピオンという役柄がすっかり板についてきた頃、真紀には、鼻持ちならない存在になっている女性タレントが一人いた。『エロ・スナイパー』のキャッチフレーズで知られる、台湾産まれのグラビア系アイドル、メイリン・オブ・ジョイトイだ。

 ことの発端は、真紀が、Aテレビの人気番組、『ラブラブ・クッキング』 に、初めて出演したときのことだった。この収録に、この番組の準レギュラー格になっているメイリンも参加していた。

 深夜枠でスタートして人気を集め、ゴールデンタイムに進出を果たしたこの番組は、五名ほどの女性タレントが制限時間内に指定された料理を作り、それを、男性タレントと局の女子アナウンサーのMCコンビや、男性ゲスト、料理専門家などが試食を行って、料理の点数をつける、という内容のものだった。

 真紀は、あまり料理の腕に自身のある方ではなかったが、この日、初めて、はっきりと調理時間に制限を設けられるという環境を体験した真紀は、時間制限に追われて完全にあわててしまい、取り返しのつかないエラーを連発してしまった。そして、あらかじめ決められた調理時間の残りがゼロ近くになったとき、真紀は、自分の目から見ても、『料理と呼ぶのがはばかられる』 ようなものを皿に盛り付けるしかなくなっていた。

 一方、番組の準レギュラーとして、『爆弾料理製作係』 の役回りを演じていたメイリンが、この収録で作った料理は、真紀を除く他の女性タレントのものよりは点数が悪かったものの、過去の収録でメイリンが作ってきた料理に比べると、『気持ち悪いぐらいまとも』 なものだった。その結果、この回の 『ラブラブ・クッキング』 では、いつものメイリンではなく、真紀が、『爆弾料理製作係』 の役回りを負うことになってしまった。

 まもなく、試食タイムが始まった。まず、メイリンの料理が試食役のMCや男性ゲストに回され、二名の男性ゲストから、それなりの評価が出たあと、毎回メイリンの爆弾料理を経験している、MC役の男女、そして、最後に試食を行った有名な料理研究家も、『あくまでもメイリンにしては』 という前置きがつくものの、全員がメイリンの料理を絶賛した。

 次に、真紀の順番が回ってきた。真紀の料理がテーブルの上に置かれると、真紀は、試食役の男性ゲストの横で肩をすぼめ、すまなそうな表情を見せたり、笑顔を取り繕ったりしながら、当然のように返される、自分の料理に対する酷評に耐えていた。

 試食役から、辛辣なコメントがどんどん飛び出す中、その尻馬に乗るような格好で、いつもは、爆弾料理を提供したあとは滅多に発言しないメイリンが珍しく口を開き、真紀の料理の不出来さをチクリとあげつらった。

 メイリンの、この 『追い討ち』 は、精神的にかなり負の状態に傾いていた真紀の心に、深く突き刺さった。そして、このとき、真紀の心の中に、メイリンに対する小さな憎悪の種が植えつけられた。


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 その後、真紀とメイリンは、いろいろな局のバラエティ番組の収録で、何度か顔を合わせたが、その際何度も、真紀は、メイリンから、真紀の感情を逆撫でするような言葉を受けた。

 メイリンは、人気レスラーの武田伸彦が主催するプロレス興行に、『メイリン様』として参加するときには、そのキャラに合わせてSっ気に満ちたセリフを連発するが、普段のバラエティ番組では、エロティックな衣装に加え、ちょっととろんとした雰囲気の笑顔で突拍子もない発言をするような、一種の、「不思議な外国人」といった感じのキャラで売っている。

 真紀には、それが良くわかっていて、また、自分の、ときおり癇癪をはじけさせるようなキャラとメイリンを絡ませれば、テレビ的に面白い絵が撮れる、だから、自分とメイリンのカップリングは、企画サイドからすれば、人選の際の、選択肢の一つとして充分アリだ、ということも、真紀には理解できていた。

 しかし、もし、その辺の事情をメイリンが察し、積極的に自分に絡んでくるのだとしても、そうなのであれば、番組の収録前や収録後に、フォローの言葉なりがありそうなものだ、と真紀は考えた。ところが、収録ごとに軽い挨拶程度のものはあるものの、真紀が、メイリンから、「ごめんね」というニュアンスの言葉を聞いたことは、一度もなかった。ということは、メイリンが、何らかの悪意を以って、本気で自分に喧嘩をふっかけてきているのではないか、…… 真紀には、そう思えてしかたがなかった。

 メイリンと一緒に出演した番組収録が終わるたびに、真紀は、メイリンに対する憎悪を募らせていった。そして、真紀は、ボクシングジムで汗を流しているとき、メイリンの顔を思い浮かべながら、サンドバッグを思い切り叩くことが多くなってきた。

 そして、真紀がメイリンに対して、良からぬ感情を抱き始めてから二ヶ月ほどの後、『ラブラブ・クッキング』 と同じ、Aテレビが制作行っている、あるバラエティ番組の収録に、メイリンと一緒に参加した真紀は、ついに、テレビカメラの前で、メイリンに対する感情を爆発させてしまった。


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 その日、Aテレビ内の某スタジオでは、過激な言動で人気を集めている、若手お笑いコンビがMCを務める、バラエティ番組の名物プログラム、『美女たちのランキングバトル』 の収録が行われていた。

 制作サイドが、毎回、『〜〜な女』という感じのテーマを選び、一般の人たちが、そのテーマに従って番組に出演する女性パネラー十名に順位をつけ、その十名がお互いに順位を予想し合う、というパターンで、いつものように、『美女たちのランキングバトル』 は進められていった。

 収録の最中、真紀の気分はあまり優れなかった。その理由は、ほぼ全員がレギュラー出演者である中で、ゲスト格のパネラーが、自分とメイリンの二人だけであること、また、横五人、上下二段に配置されたパネラーの席の位置関係に、自分とメイリンとの衝突を、制作サイドが期待しているような印象を受けたからだった。『二股がバレたらひどい目に遭わされそうな女』 という、瞬時に弾けるのがウリの一つになっている真紀にとって、あまりありがたくない題材が、その日のテーマになっていたことも、真紀の気分を憂鬱にさせていた。

 一般男性のアンケート結果順に、各パネラーの順位と、『なぜそのパネラーがその順位なのか』 という理由を、MCのお笑い芸人が発表していった。真紀の順位は、十人中、ワーストの三番目で、その理由としてあげられるものも、あまり芳しくないものがいくつか並んだ。

 これについて、パネラーたちが自分なりの意見をワイワイ言い合って盛り上がることになるのだが、ここで、メイリンが、チクリと真紀を皮肉った。

「星野さんって、頭に血が上ると、見境なくなっちゃうから、……」

 『来た!』 と感じた真紀は、勢い良く椅子から立ち上がり、メイリンを睨みつけた。

「ふんっ。エロしかウリのないアンタなんかに言われたくないわ。」

「あら、…… でも、それは、星野さんも同じでしょ?」

「何をっ! てめぇ、ふざけたこと言ってんじゃねぇっ!」

 この番組では、パネラーたちが、ちょっとした喧嘩言葉になることはよくあるが、さすがにこれ以上真紀を暴走させるのはまずいと思ったのか、MCのお笑いコンビや、お姐さん格のパネラーの何人かが、真紀をなだめにかかった。それでも、「ボクシング・スタジアムに出て来い。ボコボコにしてやる。」 という言葉は、真紀の喉元まで出掛かっていた。しかし、『ボクシング・スタジアムは、この場では他局の番組だ』 という、芸能人特有の意識が真紀の頭をよぎり、結局、真紀は、何とかその一言を言い留まった。

 『美女たちのランキングバトル』 収録後、ボクシングジムに直行した真紀は、メイリンの顔を思い浮かべ、「いつかあの女の顔に、この拳をめり込ませてやる。」 と自分に言い聞かせながら、サンドバッグにあらん限りの力をぶつけた。


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